« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月

カルピス&エスカレーター

江ノ島、鎌倉、羽田空港の見学を終えて、私たち先生を含む29名は東京御徒町の宿に入った。終戦からまだ10年も経たない年の早春で、山村の小さな分校の修学旅行である。夕飯が済むころひとりの紳士がお出でになった。どこかでお目にかかったような・・・。「これから浅草寺に行きましょうか?」と言われた。そのご案内役の方は、我が村から東京に出て立身出世された近所の友達の小父さんでした。

夜の浅草を楽しみ、翌日も小父さんの案内で日本橋の白木屋デパートに行った。そして一同目を丸くしたのです!階段が動くではないか???エスカレーターなるものに初めて乗ったのである。その頃京都の何処にもまだなかったし・・・。そしてファミリー食堂でまたも目を白黒させた!

緊張して席に着くと間なしに白い飲み物が運ばれた。小父さんの奢りだそうです。小父さんのほうにグラスを掲げるようにして一口頂いた時みんなの顔に衝撃が走った。濃厚な甘さで爽やか、これなに???「カルピス」と教えられた。あの時の美味しさはずーと忘れはしない。

その後、「初恋の味」のコマーシャルが流れる度に夢があってうきうきした。お中元にカルピスを頂けば飛び上がるほど嬉しかった、若かったなあ~

近年は長崎にオペラ『お蝶夫人』ゆかりの地、旧グラバー邸に行くのにグラバースカイロードと言う斜行&垂直の長~いエレベーターに乗ったし、西国33巡礼24番札所中山寺はお寺には珍しいエスカレーターが付いている。豊臣秀吉が世継ぎ誕生祈願で秀頼を授かって以来、安産祈願のお寺だから、妊婦のためにエスカレーターを付けたのであろう。

小父さんはお元気だろうか?初めてエスカレーターに乗ってからすでに55年以上経った。今の私は出来るだけそれのお世話にならず、とんとんと軽やかに階段を上がるようにしてる。やせ我慢かも判りませんが・・・。

再び さんぽ道

210 亀岡駅の北口に出ました。

ここからは牛松山(丹波富士)から明智越え愛宕山の稜線に続く緑が眺められ、大好きな場所です。

保津川下りの模型がある道を川に向かって歩きます。

213_2

シロツメクサやアカツメクサが・・・子供のころはお乳草と言ってチュッチュッと密を吸ったな。

*草の上を歩いてゐるとき わたしのくつは白いあしおとをのこしてゆく

まるめてぬいだ手ぶくろが宙でをどって居る・・・萩原朔太郎  「五月の貴公子」より221_2

線路わきに見渡す限りヒナゲシが・・・

相ゆれてひなげしの花二つかな

一草

214_2

保津川に向かって進んで行くと、

まだ刈られていない麦畑がありました。

大きなカステラのような。225_2 

麦笛や四十の恋の合図吹く  虚子

                       230

帰りみちの木陰に

咲き始めのホタルブクロが。

今年は蛍が見られるかな。

229 

センダンの仄かな香りが・・・青紫の小花が涼しげ、 山上億良の歌にあったような。

195_2

牡丹の台木で、王女さまが散ったあとすぐに蕾をつけゆっくりと健気に咲くシャクヤクの花。

遠く、島根の大根島から我が家に来てまもなく30年かな。

206_2 

この家の奥さまがおお喜び、

大粒で甘~いな~と。

(写真クリックしてね)

さんぽ道

182

こんにちは♪

かめ岡のかめっこで~す。

お友達いっぱいいるよ。

117

ここはお堀の西端、黄ショウブが綺麗、

アヒルのお昼ね、見れますよ。

136

ミニ植物園の少女

可憐なチョウジソウ。

137

、なになに、早くひらいてネ。

植物園のみんなが待ってるよ。

134

そばを通るといい香り、いかにも清らかな

シライトソウ、「雪の華」とも言うらしい。

185

ほんのり紅をさして

土手に一輪咲いていたの、

わたしの名前知らない?

186

ヤマボウシの赤い実が熟れるころ、

運動会だった。

山で遊んで頬ばって食べたな。

119

ウマノアシガタの咲く道は

秋にはドングリがころころ

落ちてるよ^

^    ( 写真クリックしてね)

記憶  出町界わい

人間の記憶は何歳ぐらいからあるのでしょうか?三島由紀夫は産湯を使ったのを記憶していたとか、何かで読んだことがありますが、さて、私ら凡人は如何に。

出町は生後まもなくから五歳まで住んだところです。河原町今出川の交差点から100m程下がった露地の奥(今の北村美術館の前辺り)、母の叔父の借家にいました。表の家がお米屋さんでそこの同い年の女の子(名前は思い出せない)といつも遊んでいました。黒光りの暗い階段を上がって市電の見える部屋で、碁石でままごとをしたのは鮮明に覚えています。その子は瓶の王冠もたくさん空き箱に持っていていつもジャラジャラさせていました。私も何か見せたかったのか?ある日母の鏡台からビロードの箱にはいっていた紅い指輪を持ち出して、ぶかぶかのを指にはめて仕事場の近くで見せ合いこをしていました。彼女のは緑色をしていたと思うのですがその後のことは定かでないです。

男乗り自転車の棒に座布団を敷いて乗せてもらって石薬師御門から御所に入り夕涼みに行った父もまもなく出征しました。日の丸の旗にカタカナで私の名前を書いた。慰問袋に入れて父は発った。四歳の夏でした。

ず~とあとに、「お父さんに貰った大切な指輪をあなたが糠の中に落として無くしたん、けどあの指輪お父さんの身代わりになったんやから、あれでよかったんや」と母はからっと言った。父が戦死しないで帰ってきた事を言っているのだ。

昨日、北白川まで行く用事があり、その前に出町界隈を歩いて来ました。表の子と電車道を渡って通っていた市立京極幼稚園に、記憶を頼りに歩いてみましたが判らず二度尋ねてやっとたどり着きました。意外と遠くてすぐ西に相国寺、同志社の木立が見えました。,商店街の肉やさんに「戦前から開いてました?」と、聞いてみると「してたよ」やっぱり!母と来た記憶がありました^^

私の記憶は四歳前後のようです。かなり遅いのでは、合点しました。

水辺のフリーマーケット

095_2 丹波亀山城を築いた武将・明智光秀を顕彰しようと毎年(今年で37回目)開かれている「亀岡光秀まつり」のイベントのひとつ、水辺のフリーマーケットに初めて出店しました。

昨日の天気は暑くもなく陽射しもやわらか、向う側、城跡のヤナギやコナラの透けるような緑に点々と薄紫のフジの花が咲いています。掘りに沿って丸木の遊歩道に40のフリマが並びます。私のブース番号は27番です。一ヶ月前の受付は混んでいました。キャンセル待ちが相当数あったとか、かなり人気のイベントです。

9時前、家から150m程の場所に、ころころと台車で3回、息子が運んでくれました。花ござを敷き、小のハンガー吊りにジャケットとスカート、中のにワンピースとスーツを掛け衣装ケースに鞄類を並べて準備終了。

10時前から人の出足が多くなってきました。光秀の紋所の桔梗の苗木が観光協会から配布されるからでしょう。いよいよです。どきどき、ずきずき!です。101

私の売る品は、三女が置いていったワンピースなどと私の古着ばかり合わせて60枚と大小の鞄が10個です。長くクローゼットの邪魔者だった物でも、出すとなれば迷いに迷います。ン千円のもン万円のも300円~100円均一で出しました。もったいないな!

「これ奥さんが着てはったん?」「はい、この体で着てたんです~」「ほんならもらっとくわ^^」「あちこちで買いすぎたん、入れるもの置いてる?」大きなボストンバックも売れました。長く商売していた血が騒いできて、何やかやとお喋りしながら殆どなくなりました。型の古い私のタイトスカートが数枚と娘の真紅の冬物のワンピース、手提げ鞄が1個残っただけで、(v^ー゜)ヤッタネ!!大成功でした。

ちなみに昨日の観光客は38000人と新聞に載っていました。

(・∀・)ニヤニヤ、来年も出したいな♪

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »