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2009年6月

風に吹かれて

先週末、旅ともだち(男性3人女性3人)と関門海峡に浮かぶ小さな島、巌流島を振り出しに気ままな旅に行ってきました。386_3      

門司港から約10分で玩具のような船着き場に。

海峡の真ん中で風が強くて日傘がさせない。日焼けが怖い!と姫たちは不満たらたら^^

三尺一寸の太刀を持つ小次郎と、舟の櫂を削った木刀を振りかざし宙に舞う武蔵の荒々しい姿の2体の像を見て、カメラを向ける男性軍。

早、分裂?そんなことないです、同志ですもの^^

 電車は博多に着きました。

博多湾を囲むように伸びる海の中道の先端にある志賀島(しかのしま)。839_2 四方を白い海岸線に縁取られた緑の小島?今は橋が架かっています。(ぼやけたで写真でごめんね)お迎えの車で休暇村の宿に着くまでの沿道には、花々がそよいでいます。所変わればで、アジサイがない、どうしてかな? 砂地は駄目なのかな?

夕食時には玄界灘に沈む夕陽がたまらなく綺麗!394_2

まだまだ大丈夫だと思い、玄界灘の海鮮料理に舌づつみしている間に夕陽が落ち撮れなかったのが残念!

この島は金印発見で有名であります。(中学2年の教科書に載っている)また万葉集において、柿本人麻呂の「大君の遠の朝廷とあり通ふ 島門を見れば神代し思ほゆ」と詠まれる。 ..わたし、恥ずかしながらこの万葉集のことは知りませんでした。

6人で宴会して、飲むわ飲むわで、日が変わる頃やっと床に。結局3時間足らずの睡眠で、翌朝うさぎ目のまんまフエリーに乗って博多港へ。

401_2 今日も快晴、電車は筑紫平野を快走し、焼き物の町有田を過ぎ、長崎県第二の都市、佐世保に着きました。タクシーの運転手さんと相談する殿方たち、姫たちは木陰で風に吹かれて・・・。

話し合いが成立したようです。九十九島の乗船場に送り、島巡りのあと、同じタクシーで山に登ったのち駅まで送る予約をしたらしい。

九十九島は長崎県が誇る西海国立公園にある。

九十九とは「数えきれないほどたくさん」と言う意味だそうです。本当は208の島があると確認されている。

島の条件 ① 満潮時に水面から出ていること。 ② 陸の植物が生えていること。だとか。405_2

遊覧船は真っ青の海を手品師に操られるように右に左にゆらりゆらりと・・・。ここは黒潮(対馬暖流)の影響で、色鮮やかな花や海中生物が数多く生育しているようです。最後尾のデッキはわたし達の特等席で、爽やかな風に吹かれて、、、、。

                                                                                                                   

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船を降りて、先ほどのタクシーで弓張山(360m)に登り、佐世保の市街、九十九島を上から眺めてJR佐世保駅に。大皿の長崎ちゃんぽんを頂き、車中の人に。

今回は「青の旅」で全てが爽やかな風のようでした。最高^^

菩提樹に会う

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先週末、洛東、真如堂に行ってきました。

ご本尊は「うなずき阿弥陀」と呼ばれている

阿弥陀如来立像です。

333_2本堂の右手、大きな木があります。

ありました^^お目当ての、菩提樹です!

主人がハーモニカで吹いていたな、シューベルトの菩提樹を・・・

泉にそいて茂る菩提樹
慕い行きては、うまし夢見つ
幹にはえりぬ、ゆかしことば
うれし悲しに、といしその影

332_2 ちっちゃな鈴がり~んり~んと鳴っているような、淡黄色の下向きの花、仄かにあま~いかおり^^

秋には茶色の実が熟すとか、秋が楽しみ。

実は数珠の材料になるとか。やはりお寺に似合うのかな。

335_2本堂の左側には、「沙羅の花が咲き出しました」の案内があります。若緑に純白の蕾、清楚な少女のような、あまり大きくない夏椿がありました。

本堂に参拝して、重厚な回廊を渡っていきますと、

342_2 344_2 比叡山、東山を借景にした、345_2四季の部屋がありました。「春の部屋」です。

涼しげな蓮が描かれた「夏の部屋」。

347_2

柿の絵、「秋の部屋」

346_2 荒々しい日本海、身が引き締まる「冬の部屋」327_2

回廊から見た裏庭、カエデの木がほとんど、紅葉すれば心まで染まりそうな。

密かに秋に来る約束をして・・・。

正しくは、

353_2鈴聲山真正極楽寺です。

真如堂から北に5、6分歩いてここへ。

元東伏見宮家別邸、吉田山荘です。

355_2ここはサロン、こんな感じ、

場違いかな、緊張ぎみです。

いい週末を過ごしました^^

父を想う

お箸ほどに細いたたき牛蒡が大好物であった。糠漬けの胡瓜、茄子、茗荷、かんらん(キャベツのこと)に土生姜のおろしたのをたっぷりかけてコリコリと涼しげに食べていた。父の食事といえば、これ等しか思い出せないくらいに。それに煙草は肌身離さずの友?だった。こんな話を聞いたことがある。

一時間目はどうって事ない、二時間通しの授業のとき、後の数分が堪らなく煙草が吸いたくなり授業に集中できないことが間々あったとか。生徒達は気がついていたかどうか?それにしても迷惑な先生である。

父は平凡な教師生活を40年余り勤めた。日中戦争、太平洋戦争、両戦地に出征したにもかかわらず無事帰還できた。もともと工業畑の身であるから機械いじりや木工作りが好きだった。終戦の何もない頃に、家に手作りの真空管ラジオが三台あった。私の机や椅子、オルガンまでも作ってくれた。車も早くから乗っていた。昭和32年ごろ、軽三輪のダイハツミゼットで駅まで迎えに来てくれた。皆に見られてちょっと恥ずかしい思いをした。

母が逝って30年86歳まで元気でいた。70歳で運転免許を返し、晩年はバスで町まで出て贔屓の喫茶店でコーヒーを飲むのが日課となっていた。Image_3

十年前、私は秋のお彼岸にお墓参りをした。父は珍しく祖父の事をとつとつと話した。「あんないい人は居ない、自分は幸せであった」と、父は婿養子でした。その3日後、昼ご飯のあと何時もの昼寝をしていて目覚めず、そのまま母の元に逝ってしまった。

庭いじりが好きな父に最後のプレゼントとなったのは信楽焼きの狸の置物でした。狸を植木の傍に鎮座させて、縁側でたばこをふかしながら何を話していたのでしょう?私はクスッと笑いがこみ上げてきました。Image_2_2

青梅に手をかけて寝る蛙かな  一茶

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