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2010年11月

ワンコインバスに揺られて紅葉を見に

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わが町のアイドル、ワンコイン(100えん)バスに揺られて紅葉見物に出かけました。

バスの絵、可愛いでしょう (◎´∀`) 亀山城天守閣の絵の作者は亀岡中学校の生徒さん、小学6年時の作品です。右側はお城に縁のある明智光秀、春日局、藤堂高虎の三人の肖像画です。

このバスは8年前から走っています。狭い旧城下町をくねくね曲がりながら町内ごとに細かく停まります。

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JR亀岡駅から城山を見て春日坂を登ります。

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光秀手植えの天守の大銀杏も散り始めていますが、まだまだ綺麗!

坂の途中から右に曲がり旅籠町、本町、紺屋町を経て、鉾町の氏神様、「鍬山さん」に着きました。

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   鍬山神社と 

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   八幡宮が横に並んでいます。

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新聞の「紅葉だより」に載るようになったのはいつ頃からかしら?今日も観光バスが2台来ていた。写真を撮るのもなかなか難しくなった。

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キレイキレイ!心まで真っ赤に染めて、境内をくる~と散策して次のコインバスで市役所に向かう。

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トウカエデがさわさわとそよぐ庁舎の駐車場。これが今が真っ赤、ずらっと並ぶこと見事なり。

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コインバスは緑橋に。明治から大正にかけて京都の政財界で活躍した田中源太郎の旧邸。

今は、保津川観光ホテル 「楽々荘」 として、建物も庭も受け継がれています。庭の紅葉の見ごろは2,3日後かな?

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は~い、町内を一周してきました。こちらは外堀のアヒルさんです。清潔で礼儀正しいですよ!日に何度でもぶるんぶるるんと顔や体を洗っています。並ぶ順番は替わることはありません。ちなみに私は毛並みで覚えていますヽ(´▽`)/

今年は猛暑でした。でも秋が来て台風も少なく、(この辺りは全然来なかったです)適当な雨も降り山が潤い、数年ぶりにマツタケがでた。晩秋のこの頃のお天気と言ったら、お天とさまのご褒美のように真っ青な空、心地よい風、家に居るのが勿体無いほどの晴天。冬将軍が来るまでのうたかたのお天気に感謝ですね。明日も何処かに繰り出したいな・・・。

嵯峨菊を観る

 

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11月の声を聞くと、そわそわして落ち着かない。数年前から写経の会に入っている嵯峨大覚寺の嵯峨菊を観賞したいのであります。しかし歩行がまだおぼつかないし・・・でも、こんなにいい秋晴れ、思い切って出かけて見ることにしました。しかし、この時期の嵯峨は覚悟をして出かけなければならない。人垣でつまずけばわたしの場合い大事になりかねないし・・・。

大覚寺大沢の池を背に、一鉢で下から七、五、三、と天地人の三本仕立ての配置が微妙な嵯峨菊。葉も下から黄朽ち葉、濃い緑、薄緑で、高さは二メートルほどに育てるらしい。

この清楚な嵯峨菊は、吹き乱れて咲きはじめ、伸びるにつれ横向きから上に向かって立ち、茶筅のかたちになって歓喜するという。

       ひともととおもひし菊を大沢の池の底にも誰か植えけん  紀貫之

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その昔に、大沢の池で舟遊びの時、菊ヶ島で野生の菊を摘み生け花にしたのが嵯峨菊の始まりと伝わる。

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大沢池の向こう岸の水にうつる松山を眺めていると、さくら紅葉が舞い落ちる、ああ、昔も同じときを過ごしたな、と懐かしさがこみ上げてきました。

帰り道に向井去来の別宅落柿舎に寄るも、人垣で近寄れません。「泥棒捕まえて縄綯い」のごとく、ああ、折角芭蕉の「嵯峨日記」を持参したのに・・・。

去来の俳文「落柿舎の記」に寄ると、この別宅には柿の古木が40本もあった。柿の実を商人に請れるままに立ち木のまま売ったところ、風が吹いて一晩のうちに落ちてしまった。商人に泣きつかれた去来は金を返した。落柿舎という名前はこの出来事に因む。という。

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           柿主や梢は近き嵐山   向井去来

上の句は、柿は嵐山に近いので嵐で落ちても仕方がないという駄洒落の作。という。

次は人のいない冬に、常寂光院を通り小倉山から白き保津川を見て、嵐山に出ようかな、なんて思いながら、久々の嵯峨野に頬が染まるようありました。

温かな手当て

お陰さまで、台所にも立てるようになりましたし、朝はベットの上のリハビリのあと、紅葉の始まった公園や駅まで散歩するのが日課となりました。

主婦になって始めて1ヶ月の養生をしてふっと思ったことは、昔だったらどんな手当てや薬が有ったのかなと・・・

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誰かが体調を崩すと、症状に応じて撫でたり擦ったりして温め、納屋に常備で吊るしてあるゲンノショウコやジュウヤクを煎じたり、庭から採って来たユキノシタの葉を揉み、腫れものに貼る、祖母はこんな手当てを呪文のように唱えながら手早くしてくれました。

10月の中頃から4月の初めまでは囲炉裏を使っていますが、4月の花冷えが終わると4枚の板で囲炉裏が閉められ、その上に黒光りした長火鉢がどんと据えられます。長火鉢の横に3段の引き出しと、上に蓋のあるくりぬきの入れ物が付いていました。

その蓋物の中には、家の土手に咲く薄紫のサフランの雌しべが和紙に包んで茶色っぽくなっては入っていました。どんな時に飲んだのか覚えていませんが、お茶碗に2,3本のしべをいれお湯を注ぐと、見る見るうちにまっ黄色の汁に替わります。「お茶や思うてぐっと飲みや、すぐ良うなるし・・・」あの特有の匂いと口にするには気味悪い鮮明な黄色。目を瞑り鼻を抓んで、ちびりちびりと飲む。飲み終わると思い切り息を吹き出し匂いを逃がすのでした。

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梅の生酢は水で割ってお腹痛や暑さ当たりになくてはならない物でした。また青梅や半熟で自然に落ちた梅は、男物のお茶碗に米糠を詰め、真ん中に梅の実を2個ほど入れて火をつけ裏返しにしてくすべます。しばらく糠の焼ける臭いがして梅は黒こげに焼けます。黒くなった梅は熱さましや咳止めに。またおたふく風邪のときは黒い梅肉を千切ってほっぺたにぺたぺた貼り、手ぬぐいをあごから頭の上に廻して結びます。「そんな不細工なこといやや!」なんて言ってられません。祖母の「すぐ良うなるし」の言葉通りにいつも治ったからです。ほんとに我が家のお医者さんでした。

その極め付けが、ドジョウ療法です。よう忘れもしません、夏の最中に高熱をだしました。枕もとのラジオは、古橋広之進選手の競泳の放送をしていました。5年生だったかな?祖母は隣の小父さんに頼んで小ぶりのドジョウを20匹ほど手に入れました。晒木綿の袋にドジョウを半分ずつ入れ、寝ている私の両足の裏に当て、落ちないように布でぐるぐる巻きにします。なんと、残酷なことを!ドジョウは苦しくてぐにゃぐにゃとよけいに動きます。私はこそばいし気持ち悪いし悲鳴をあげます。祖母は涼しい顔して「静かにラジオお聴き、日本の古橋が勝ってるんやて」 その後3時間ほどぐっすり眠ったらしい。気がつけば夏布団も浴衣の寝巻きもびっしょり!「これ見てみ、可哀相にドジョウがFちゃんのためにこんなになって」袋をちらっと見た、見なければ良かったのにと思った。あの黒いドジョウが真っ白に膨れて湯だっているのだ。私の熱はすっかり下がった。

古橋選手が世界新記録を出した日でありました。

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冬の寒い日、手も足も感覚がなくなるほど冷たい日、学校から帰ったら小タライに野菜の湯がき汁をさっと入れてくれます。足袋を脱いで足を入れると、最初は痺れて赤くなりますが、数秒で指先からじわっとあったまって体の芯まで温かくなります。

昔の人はこうして手間隙かけて自分の出来る限りを家族のためにしてくれました。物はなくとも、ほんとうに心の豊かな日々だったんだな、と、懐かしく思い出していました。

明治27年の明治節(11月3日)に生まれたことを誇らしげに言ってた祖母。93歳まで病まずに旅立った。健気な明治の女性でした。

                              ばあや たずねて

         
           (一)
            森かげの 白い道
          かたかたと 馬車はかけるよ
            あかい空 青い流れ
          ばあやの里は なつかしいよ
 

           (二)
            栗の花 かおる道
          ほろほろと 夢はゆれるよ
            枝の鳥 ちちと鳴いて
          ばあやの里は なつかしいよ


           (三)
            思い出の 長い道
          とぼとぼと 馬車は進むよ
            暮れの鐘 招くあかり
          ばあやの里は なつかしいよ

             

              作詞:斎藤信夫
                作曲:海沼 実
                制作:滝野細道

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