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2011年1月

古都の山焼きを見る

 1月22日 快晴

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待ちにまった若草山の山焼きの日が来ました。

猿沢池の近くのホテルに荷物を置き防寒着をきこんで、午後3時半いざ出発です。ホテル前からタクシーに乗り「山焼きの一番よく見えるところに連れてって下さい」と頼んで乗り込みました。一の鳥居からくねくねと山麓町まで行くと、なんと目のまん前が若草山でした。(トップの写真)

全山芝生に覆われたなだらかな山(342m)で円い丘が三つ重なっている様子から別名を三笠山ともいわれるそうです。

点火は6時ですからまだ2時間以上ありますが場所を確保しなければ落ち着きません。着いたときはまだこんな(上の写真)状態でしたが、おでんを二皿買っている間に混みはじめてきました。何とかベンチを確保して、ほっと。(山の中ほどの柵のところから上を焼く)ベンチの隣合わせにいられた地元のご婦人と仲良くなり、2時間の待ち時間があっという間に過ぎました。

   若草山焼きの起源

若草山は九折山と呼ばれており、三重目の頂上は前方後円の巨大な鶯塚古墳です。江戸末期頃まで、この鶯塚はウシ墓と呼ばれ、ここから出る幽霊が人々を怖がらせるという迷信が長く続いていたらしく、しかもこの山を翌1月ごろまでに焼かねば、翌年に何か不祥事件が起こるといったことで、通行する人が放火し東大寺境内の方に火が迫る事件が再三起こりました。

元文三年(1738)12月に、奈良奉行所は九折山に放火禁止の立札を、山の枯れ草が青芝になる正月から三月まで立てましたが、しかし、その後も放火事件が起こり、結局その犯人は検挙されぬまま、誰が焼くともなく焼かれるようになりました。

それは山上古墳の鶯陵に葬る霊魂を鎮めるそまびとの祭礼というべきもので、供養の為でもありました。        (若草山焼き行事実行委員会のガイドブックより引用しました。)

5時半頃から山麓の、野上神社の祭典が始まりました。これは春日大社の山焼き行事の無事を祈願する祭礼。東大寺、興福寺の読経のなか、僧兵が10人ほどでかがり火を持って上がってきて山麓中ほどに設けた大かがり火に点火されるのです。

三笠、帯解、月ヶ瀬など市内各町の地名入り消防服の方々がそれぞれの火付け場所に着かれました。

いよいよ始まりです!

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ポッ!ポッ!ポッ!礼讃の花火の始まりです。世界遺産「春日山原生林」の生き物たちをテーマにした花火、尺玉30連発などなど、もの凄く見ごたえのある花火で、奈良県で最大級の大花火に酔ってしまいそうでした。

生き物たちの花火が終わると点火です!山の中服に一列に並ばれた消防団の人たちが一斉に山肌に点火されると、斜めに筋を引くように33ヘクタールの芝生の全山が火に包まれ、古都の夜空に浮かびあがります。私は固唾を呑んでただ一心に火を追うばかりでした。大方燃えたとき、「ああ、写真撮るの忘れてたわ」あれほど写真に拘っていたのに、カメラのことなど頭から飛んしまっていた。

帰りは大勢のひとの波について一生懸命に歩きました。風が冷たいです。それでも満たされた心は温かく近鉄奈良駅から三条の商店街で買い物をしてホテルに帰り万歩計をみると10000歩ほど歩いていました。

 1月23日  晴れ

柳生の里に行こうと思って駅に行くと、バスが日に数回しかなく、時間的に無理だったので、浄瑠璃寺に変更し行ってきました。

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ここは京都府木津川市加茂にありますが、JR奈良駅から1時間に1本バスが出ています。

鄙びた峠にあるこのお寺は花の寺だそうです。でもこの時期はロウバイや万両が咲いているだけの静かな境内ですが、寂しさや暗さは微塵もありません。むしろ晴れ晴れとした涼やかな佇まいであります。

池をを中心に東方に薬師如来を祀る三重塔が、こちらを此岸、陽が沈んでいく西方に阿弥陀如来を祀る本堂が彼岸というそうです。

本堂に上がりました。「西方九体阿弥陀如来」(国宝)はおおらかでゆったりと安置されています。春分、秋分「彼岸の中日」には九体仏の真ん中の阿弥陀さまの後方に太陽が沈んでいくことが判るそうです。

そうそう近鉄奈良駅に程近い慈眼寺もお参りして来ました。

車窓をぼんやり眺め、春になれば大和路の花紀行もいいな、と思いつつ満たされた気持ちで家路につきました。

 

 

寒中仕事・柚べし(ゆべし)作り

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 1月17日  晴れ

毎年、柚の里水尾から蜜柑箱一杯の柚子を頂きます。その柚子で寒の間にいろいろなものを作ります。

今日は柚べし作りです。

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きれいに水洗いしてから水気をふき取リ、ヘタの方が蓋になるように切り落とし、下はスプーンで中身をくりぬいて器(柚子釜)にします。蓋と器はそろえておきます。

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くりぬいた中身の種をとり実と分ける。柚子は種が多いからこれに一番手間がかかります。

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むきクルミは荒く刻み、赤味噌と白味噌半々と味りんでよく練り合わせる。

柚子釜に練り合わせた材料を6分目ほど詰めて蓋をする。

蒸し器に並べて中火で50分蒸しました。蓋を取ってそのまま1時間ほど冷まします。13個を一列に並ばないので重ねました。あらあら、お行儀が悪いね^^

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は~い、別嬪さんにしてキッチンペーパーに包み巾着形に整えてタコ糸で結わえます。

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雨や日光をさけて、(ほんとは北側がいいのだけど)我が家はベランダに吊るしました。

ぶらんぶらんと2ヶ月ほど冷たい風に当てます。春が来れば柚べしの出来上がりです。紙をはがして薄切りにして、お酒の肴や、お茶うけにとても美味しいです。待ち遠しいな・・・

繰り抜いた実はジャムに。また種は焼酎につけて1ヶ月ほど置けば柚子ローションの出来上がり、手足に惜しみなく使えます。効果はね、それなりにつるつるのお肌になりますよ♪

     冬青き柚の葉かげに黄なる実のひとつ残りて春立ちにけり  加納 暁

弓を引く

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1月16日  雪時々晴れ

今朝の雪は5cm~8cmほど積もりました。めだかは三十三間堂の通し矢を見て参りました。新成人の成長を願って今年で61回目だそうです。雪が舞う背中に「福島医科大学弓道部」なんて書いてある美女、カッコいいです!雪の中に真っ赤なボケの花や寒桜の咲く境内はたこ焼き、ホットドッグ、お好み焼きの屋台も賑やか。

お堂の中は撮影禁止ですので写真はありませんが、この日は「楊枝のお加持」(ヤナギノオカジ」の法要があると放送が流れていました。何でも経験と、初めてですが受けてまいりました。

この水は本尊のご宝前において7日間祈りをこらした浄水を¨人の熱脳を除く¨とされる霊木・楊技の小枝をもって参拝者にそそいで無病息災・厄除開運のご利益を授ける修法だそうです。堂内の千体千手観音立像の前で大勢が3列になって戴きます。めだかの頭に浄水が僅かにそそがれたように感じました。これはもっけの幸せかも。

お堂の千体千手観音像には、必ず会いたい人に似た像があるとも伝えられています。

近くで食事を済ませて京阪・叡山電車で鞍馬寺に向かいました。何と学生時代から50ン年ぶりです。

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叡電鞍馬駅で雪は20~30cmぐらい積っています。しかし日曜日で参拝者が多いのでしょうか、踏み込まれてつるつるであります。

駅前から花背に続く街道を200メートルほど歩くと仁王門に着きました。、ここから浄域で雪景色もあって凛とした「気」を感じ清々しいです。

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ケーブル山門駅を通りすぎて石段をはぁはぁ云いながら上がると由岐神社に着きました。ここの由来は、矢を入れて背中に負う「ゆき」を祀る鎮守社だそうです。

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ここからがほんとうに行きたい所ですが・・・。『枕草子』に出てくる「近うて遠きもの」の中の「くらまの九十九という道」だそうですが、この時間から登る自信がありませんので、今日はここまでにしときます。婆さんが雪道で無理はできません。

昔は怖さも知らなかったのか、女友だち2人で貴船神社から西門を経て登りました。殆ど忘却の彼方へいきましたが、昼なお暗い山中には天狗がいて牛若丸に武芸を仕込んだとされる義経堂や背くらべの石などは僅に思い出せます。それに杉の根がくねくね出ている木の根道では、お腹が笑って足が笑って歩くのが可笑しかった懐かしい思い出の地ですが、つづら折の道を歩いたか否かは定かでないですが・・・。

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暖かくなればもう一度来て、貴船に貫けよう。と誓いと未練を残しながらの下山でありました。

 

日々暮れ行くなかで、ほっこりと

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(1月7日の朝。上、保津遊船場より北の山々。 下、正面牛松山、右奥の方愛宕山は雲のかなたに)

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            (駅裏のヒマワリ畑 コスモス畑)

 1月7日  晴れときどき小雪舞う

小寒の夜は冷え込み、七草の朝は山も田圃もほんのりと雪化粧。近くの『大本』で七草粥をいただきました。40年以上つづく恒例行事で市内外から大勢が訪れ、新春の楽しみの一つです。(どなた様にも振舞われます)

七草粥には神饌田で栽培されたお米と、その田に自生する春の七草が使われています。お汁椀はツクバネ(ビャクダン科)のお澄まし、佃煮、みかんに、おり酒(にごり酒)のお膳で、体のそこから温まりました。

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  1月8日 濃霧のち晴れ

烏丸松原で用事をすませて「そうだ、えべっさんに初参りしょう」と鴨川まできますと、ゆりかもめやハトが遊んでいました。おっとっと、急いでいそいでパシャ! ぶれました!

松原橋を渡り宮川町から入りました。8日は招福祭、9日は宵ゑびす、10日は十日ゑびす、11日は残り福えびすだそうです。きょうはまだ夜店の準備で大和大路はごちゃごちゃして通りにくい。それでも境内はそこそこ混んでいて、吉兆のお笹に縁起物の福俵や宝船、熊手などを吊して。また「人気寄せ」の赤い傘も10cmほどのミニから7、80センチ位のまでありましたが小さいほうが人気があるようでした。近年不景気だからね。私は見ているだけで充分楽しいです。

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帰りにえびす神社のお隣、平野酒造さんで、京北の『初日の出』の酒粕を買ってしまいました^^いろいろあったのですが、やはり贔屓のをね。

祇園の新春の佇まいを味わいながらふらふら歩く。きょうは建仁寺も素通りして帰ろ。

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  1月9日  晴れ

悲しいお別れに。15年ほどの旅友達M夫人が逝かれた。九州の旅が最後となった。「次は何処に行きましょうか」と賀状を出したのに、お返事がなかった・・・。

旧家のお庭に梅の蕾がいまにも咲きそうにふくらんでいた。その愛しいお家から旅立たれた。

  1月10日  小雪

今朝もうっすらと雪化粧。

小寒から4日目を「寒四郎」と云うそうです。この日の天候によって収穫に重大な影響があると信じられていた。9日目を「寒九の雨」といって、この日に降る雨は豊作の兆しであると喜ばれてきた、という。

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午後から図書館に行ってきました。干支のうさぎの登場する本は10冊ばかりありました。その中で絵の色彩がキレイで気に入った『うさぎのくれたバレエシューズ』の絵本にしました。

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あとはこの3冊です。『年譜の行間』(中央公論社)は作者の自伝が細やかに書かれていました。『江分利満氏の優雅なサヨナラ』(新潮社)は長く連載された『男性自身』最終巻。いま中ほどを読んでいます。『鳥の歌』(福武書店)、これは何となく借りたが難しそうだから、読めないかも、と思います。

ストーブでおこぶを煮ながらこっくりこっくり・・・静かな昼下がりです。

   

にいとし

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

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 1月1日 晴れ 

とし越しの雪が眩しい。昔は雪のことを敬語をつけて「御雪」(みゆき)と呼んだそうです。それほどに美しく風流なものなのでしょう。私は雪に誘惑されバスに揺られて里に行きました。

三股の谷の檜林はもこもこと重そうに雪を乗せて。里の雪はおおよそ30cmくらいで、田畑はふかふかと掛け布団をかけたような温かみさえ感じる雪景色でした。地元の日吉神社へ元日に詣でたのは娘時代以来で、本殿の裏側に早々と書初めが貼ってあるのも昔と少しも変わらない懐かしい風景でした。お茶の自販機にチョコレートとガムも入っているとは・・・。欲しいのだけどブーツを越すので近づけないのです。

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左、上区の在所を通り日吉にいたる。    右、京北に通じる国道477。

 1月2日 晴れ

氏神さま、鍬山神社に初詣を済ませて、午後から気楽な初釜に行って来ました。

初日の出でしょうか、やわらかな橙色に『にいとし』と書かれた軸が掛けられていました。茶花は白い日本水仙。お薄器は自家の窯で上がった、漆黒の楽焼にことしの干支のうさぎが浮き出るように描かれていました。

無知な私は『にいとし』の言葉を始めて知り、目から鱗でした。自分の中でくり返し言ってみました。じんわりと新しい年がほほえむ、そんな温かさが伝わって来るようでありました。

 1月3日 晴れ

今年も12人の子供や孫が集まってくれました。恒例の初顔合わせの食事会です。片腕の婆さまはいい括弧をして、「お年玉ありがとう」と「美味しかった、お腹いっぱい」の言葉に酔って毎年懲りずに散財します。明日からは水とお塩で細々と暮らさねばなりません(笑)

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あすは寒の入り、寒さもきびしくなります。今年もわいわいと楽しく過ごせますように。

皆さま、風邪などひかないようにご自愛くださいませ。

 

 

 

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