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2011年8月

六地蔵めぐり

 8月22日 (月) 曇りときどき晴れ

 地蔵盆の日、京の六地蔵めぐりバスツワーに始めて参加してきました。

六地蔵巡りは、6ヵ所のお寺で、赤、青、黄、緑、黒、白の6色の(お幡オハタ)という札を授かって玄関につるし、1年の疫病退散、家内安全、無病息災、福徳招来を祈願するものです。

 6ヵ所のお寺には、地蔵菩薩が祀られています。地蔵菩薩は、小野篁(おののたかむら)が一度息絶えて冥土へ行き、生身の地蔵菩薩を拝して蘇った後、一木の桜の木から6体の地蔵を刻んだものと伝えられています。

そして、保元2年(1157年)に平清盛が西光に命じて、京都の主要な街道の入り口6ヵ所に祀ったことことが起源とされています。

 山科四ノ宮 (東海道) 伏見六地蔵 (奈良街道) 上鳥羽 (西国街道) 桂 (丹波街道)  常盤 (周山街道) 鞍馬口 (若狭街道) の六ヵ所です。

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 わたし達は、鞍馬口地蔵(上善寺)からお参りしました。ここは若狭街道の入り口です。

 比叡山をのぞみ、大文字が真正面に見える加茂川の西堤ちかくにある地蔵堂です。一年間何事もなかったののでしょうか、古いお幡を布衣に結んで返していられる様子です。また新たにお幡を求められます。

 烏丸紫明通りから西に向かい嵯峨野常盤にある常盤地蔵(源光寺)に。嵐電常盤駅、嵯峨野高校の近くで、住宅の中の小さな黒塗りのお寺です。狭い境内は人ひとでよそ見もできないほど・・・

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 この地は、源義経の母の常盤御前が営んだ庵の跡地とも伝えられています。

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 嵯峨野から嵐山に抜け桂川左岸にそって松尾大社、苔寺を望み丹波街道、桂地蔵(久遠山・地蔵寺)に着きました。近くに桂離宮があります。 ここ桂は丹波・山陰街道の入り口です。

 こちらは2007年に解体され、新しい本堂が建立されました。広い境内でゆったり参拝。美しい地蔵菩薩にうっとり・・・

この地蔵菩薩は一本の桜の木の最下部の分で作られ、世に姉井菩薩と云われている。

 そろそろお腹も空いてきました。バスは七条通り、九条通りを東に走り、昼食場所の東山七条、智積院一休庵に到着です。なだらかな東山を眺めながらお盆ご膳を頂きました。

 

 さて、午後の一番目は、山科にある山科地蔵(徳林庵)で、四ノ宮、東海道の入り口に祀られています。

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 別名「目の神さん」「ひとやすさん」「さねやすさん」と呼ばれ 、盲目の「琵琶法師の聖地」ともいわれています。

 この庵は仁明天皇第四皇子で琵琶の名手、人康(ひとやす)親王を弔うために建立された。親王は盲目であったことから、盲人座頭の祖神とされ、江戸時代にはこの辺りの地名を四ノ宮というのも第四皇子が住んでいたことから、地名となったといわれている。

      これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関  蝉丸        

平安時代の歌人蝉丸は盲目の琵琶法師で、逢坂山に庵を営んでいたが、生没もはっきりしない伝説上の人物。人康親王がその人物だとも言われているそうです。

 どものころ百人一首でこの歌を一番に覚えました。坊主めくりでも最初、蝉丸だけ頭巾を被っていたから坊さんに見えなかったので、子ども間でもめたことがありました。遠い記憶ですが。

 参道は屋台の準備で忙しそうでした。もう少し後だったら、子どもに帰れたかも・・・   

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    伏見(大善寺)、ここは奈良街道の入り口で、伏見六地蔵と言われます。

 バスを山科川の左岸で降り、六地蔵まで15分ほど歩きました。大型車をはじめ車の往来の激しいところで往生しました。

    道標「ひだりふしみみち、みぎ京みち」 今も昔も交通の要でありますね。

 小野篁が一本の桜の木から刻んだ六体のお地蔵様が最初に全て置かれた地。また鐘楼は、徳川秀忠の娘、東福門院が安産成就のお礼として寄進したものだそうです。

         住職様に由来などの法話を30分ほど頂戴いたしました。

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 最後に上鳥羽の(浄禅寺)、上鳥羽地蔵。ここは大阪街道の入り口に祀られています。

大勢の奥さま方がお茶のお接待をしてくださいました。ありがとうございました。

恋塚浄禅寺は、寿永元年(1182年)に文覚が袈裟御前の菩提を弔うために創建しました。

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映画好きの方は 長谷川一夫・京マチコの『地獄門』をご覧になっていると思います。

 平安末期、平清盛の臣下の武士・盛遠は平康の乱で上西門院の身代わりにたった袈裟という女の車を守る役に任ぜられ、その袈裟を助けて兄の家に連れて行ったとき、その袈裟の美しさに心を奪われる。盛遠は京を留守にしている清盛の下に謀反の知らせを届けて武勲を挙げる…
 美女袈裟の恋塚の碑が建っています。ここ浄禅寺にあるとは全く知りませんでした。 

 猛暑から一転、秋が来たかに思われた日から3日目の六地蔵めぐり、暑くもなく、丁度いい日和で本当に良かったです。

六枚のお幡を玄関に吊るして、まためぐり来る日が平穏でありますことを願っております。   

 

     

あのころ・防空壕のこと

                 

           残暑お見舞い申しあげます。     

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  8月15日 (月)  晴れ朝がた小雨

 終戦から66年経った。昨夜あの時のことが思い出され目が冴えて朝方まで眠れ              なかった。 ここに少しだけ書き残しておこうと思った。

 昭和20年 母30歳、妹2歳、私7歳 の3人で、今は北区(元上京区)紫竹に住んでいた。父は日中戦争に続いで二度目の出征で留守でした。

 母は昼間は兵隊さんの軍服の肩につける肩章(星が2つのと3つ付いたのがある)を作っていた。国防色の台紙に赤い星を糊でつける作業で、母が貼っていく星を私が渡すお手伝いをよくしました。表と裏を間違えないように母の手に渡すのです。「fちゃんが手伝ってくれたので今日は早くごはんが食べられるわ」と喜んで夕餉の支度にかかる、そんな母を見ているのがたまらなく嬉しかった。

 電燈の笠に黒い布を被せたほんの僅かな灯りの下で母子3人が黒いごはんと菜っ葉の炊いたんで夕飯を食べます。*黒いのは海草麺を細かく切った物) 当時お米を買うのに米穀手帳がなければひと粒のお米も買えなかった。

 夕飯も終わり母は妹を寝かしつけてから私の朗読をききつ、隣組から廻ってくる千人針を刺したり、わたし達のつくろいものなどを済ませて、やっと湯たんぽに身を寄せ合って寝ることが出来る毎日でした。

 そんな寒い夜半に「B29よ!早く防空壕に!」と母に起された。母の顔は真っ青で泣き喚く妹をおんぶして、子ども部屋の床下にある深い深い防空壕のハシゴのまえで硬くなっている私に「怖くないから早く降りなさい」と厳しく云った。

 防空壕の中は母の背丈ほどの深さで木のハシゴがあり、背を向けて降りるとなかは畳一帖くらいはあり温かに感じました。入ってしまうと木の蓋を半分ほど閉めた。妹も異変を感じたか、静かになりきらきらとした目で私ばかり見ていた。私は母と妹の手をぎゅっと握っていた。温かさが伝わってきて、いつの間にか眠ったようでした。

 後で知ったのですが、昭和20年1月16日午後11時23分、京都市東山区馬町で死者41名、軽症56人、家屋崩壊121戸を出した京都で始めての米軍機B29による爆弾の投下であったのです。

 父は運の強い人で、日中戦争、太平洋戦争と二度にわたる出征も、左腕弾丸貫通の傷を負ったものの、無事終戦の秋に帰ってきました。愛唱歌は「誰か故郷を想わざる」で、蓄音機を廻してひとりで彼方を見ながら聴いていました。父から戦争の話を聴いたことがない、どうしてだろう?と、いま自分に問いかけていいる時があるのです。

     

                     京都の主な空襲

     昭和20年(1945)  1月16日  東山区馬町     【東山空襲)】

                   3月19日  右京区春日

                   4月16日  右京区太秦

                   5月11日  上京区御所

                   6月26日   上京区出水    【西陣空襲】   

                  「画された空襲より」参考にしました。 

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          写真は庭に咲いたカラスウリの花と魚の紙ふうせん 

夏の休暇 その二

 7月29日 (金) 晴れ

今日もいいお天気。静岡県掛川市にある山ふところ, ねむの木村に着きました。

♪紅い夕日にガードを染めて ビルの向うに沈んだら 街にネオンの花が咲く・・・ ほっとくちづさんでしまいそう・・・

そうです、昭和30年ごろ、・・・♪大ヒットした「ガード下の靴みがき」を唄った歌手、宮城まり子さんが私財を投じて設立された日本で始めての肢体不自由児のための養護施設 「ねむの木学園」がある所です。

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先ずは、学園のあるあかしあ通り1丁目から舗装のされた山道を蝉しぐれを楽しみながらとことこ登ること20分、ねむの木こども美術館 (どんぐり) に到着.。

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緑も濃い山に囲まれた玩具のようなドーム型美術館です。

作品の写真は撮れませんが(ネットで見れます)もう感激するばかり・・・

中でも私の好きな絵は、「つくしんぼと一列」気の遠くなるような細かな優しい絵に、貼り付けになりました。

「雪の降る夜」雪を乗せた三角屋根のちっちゃなちっちゃなお家が無数に描かれています。

「おかあさんに抱かれて僕、星から来たの」 願望?淋しさとぬくもりの絵に涙目の私でした。

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先ほど来た道を 山百合に誘われながら下っていくと

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森の喫茶店「MARIKO」です。入り口にも生徒さんの絵が描かれています。可愛いね☆

「いらっしゃいませ」と背の高い生徒さんが迎えてくださいました。厨房には職員の方と4人の生徒さんが働いていられた。

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   店内は明るく窓の外は桜木池があり涼しい風が通っていきます。

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    メニューを見て、カレーライスとオレンジゼリーを注文しました。

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    カレーのお味はスパイスの効いた辛口で私の好みにピッタリ!

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     たっぷりのオレンジゼリーで、ますますご満悦のわたし。

 ご馳走さまをして、桜木池を過ぎれば 吉行淳之介文学館

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こんもりした山を背景に、和風で爽やかな、吉行さんのダンデイそのもののような建物で、吉行淳之介さんの生涯のパートナーだった宮城まり子さんが心をこめて開館された文学館です。

うす暗い館内に入ると、正面は大きなフロアーの向うは、緑をたっぷりそそがれた明るい中庭が広がっていました。

左手奥は写真や書簡の展示室で、幼少のころから、たまらなく女性に持てた吉行さんや文壇の関係者、まり子さんとのお熱い写真が飾られ、また復元された書斎の机には、神楽坂山田屋の原稿用紙があり、最後まで愛用されたという中学生用の椅子、その傍には30cmくらいの赤いてんとう虫のキャスター付きの足置きがありました。

文学館におかれている小物にはすべてまり子さんの温かな文章が書き添えてあり、ほのぼのと心に入ってきました。

玄関横の机には、吉行j淳之介や宮城まり子さんの読んだことのない本がたくさん売られて、ここでも迷った末に、吉行さんのことが知りたくて、

宮城まり子さんの書かれた『淳之介さんのこと』の単行本を買いました。

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お茶室でお抹茶が頂けるそうですが、バスの時間が迫って、時間がありません。

季節がかわればまた来たいな、と、坂を駆け下りバス停に急ぎました。

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        ほっこりと心が癒されるむの木村の旅でした(゚▽゚*)

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     列車の時間まで、急ぎ足で 掛川城 も覗いてきました。

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