« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

2011年12月

大江山石畳古道を歩く

  003

  11月26日 (土) 晴れ

  歴史の道100選に選ばれている「宮津街道普甲峠越え」を地元のガイドさんの案内でのんびり歩いてきました。

バスを降りるといきなり鬼とご対面。

 大江山には、山中に鬼が住んでいた、鬼退治をしたなどの伝説がたくさんあります。

 この辺りは朝鮮半島やロシアなど、海外からの影響を受けたところで、ガイドさんの話によると 鬼というのは、青鬼=目の青い人、 赤鬼=髪の赤い人など海外からかくれ住んだ人々、という説もあるそうです。
 

 それに、天橋立や元伊勢などの巡礼道だったことから、旅人を狙った悪い盗賊を鬼と呼んだ説もあるようです。

009_2

 鬼の足跡岩

012

 霧の二の瀬川渓谷にかかる吊り橋も渡りました。そんなに揺れなかったよnotes

                                                                                   034

 035

 ふもとから頂上まで石畳が続きます。 丹後を支配していた細川家のころに作られたそうです。                                      

 038

                                                    045   

  「爪割り水」 で、初めて休憩し、近くに「千年杉」 「胸壁」、「関所跡」があり礎石もしっかり残っていました。 

大江山連山の標高は600m~700mで、普甲峠の石畳が残っています。しかし滑り易いので脇を歩きます。杉林に入るまでは、ナナカマド、カエデ、コナラなどの落ち葉を踏みながらジグザグ坂を登っていきます。木漏れ日と心地よい風が通り、汗をかくほどでもない。 

049

 わぁ、綺麗!三角の山がぽっかり、写真愛好家の方にお聞きしました。砥石山(といしやま)というそうです。

053

 石畳の古道も終わり大江山スキー場に出る(向かい側も)。 近年何処も雪不足、去年は40日程の営業とか。

 先日からの寒波で営業できているといいんだけどなぁ・・・                               057

 スキー場から宮津湾が見えました。    天橋立はいずこにsign02

 お昼は大江山スキー場の施設(KTR宮福線の辛皮(からかわ)駅のそば)で地元の食材を使ったお弁当を頂きました。

 その後、丹後宮津桔梗の会の皆さまとの交流会があり、自己紹介で、「ご当地と亀岡は明智光秀でつながりがあることで興味深い宮津です」 なんて?訳の判らないことを云いました(;;;´Д`)。

 午後からの写真が全部ダメになってしまいがっかりです!

バスで山を降りて盛林寺に。

お寺の山すそにある明智光秀の首塚に。そのあとお茶菓を頂きながら住職さんのお話を伺いました。 

    林寺(宮津市字喜)

盛林寺は、上宮津城主、小倉播魔守の菩提寺として天正五年、宮津大久保谷に創建された。開山は趙室栢和尚、それを助けた小倉氏は、丹後守護一色家の重臣であった。小倉氏は天正六年、細川氏に敗れて滅びた。細川氏は天正八年八月、丹後の大名として入国、宮津城をつくった。盛林寺はその庇護を受けた。(パンフレットより引用)

 嘘かまことか?明智光秀の首塚は亀岡にもありますが・・・
一時間ばかりの宮津寺町を散策し終えて万歩計を見ると7609歩。
 な~んだ意外と歩いてないんだ。  
さて年の瀬、皆さまはどのようにお過ごしでしょうか?イブで美酒を楽しまれる方、旅に出られる方、おせちに腕を振るわれる方、どうぞみなさまお健やかに(´▽`).

       

              なりにけりなりにけりまで年の暮  芭蕉

               

             

       

    

     

    

    

            

おぼろげな記憶の西賀茂を歩く

  11月20日  (日)  晴

西賀茂の言葉は知らなかったかも知れない。でも何としても懐かし所。

御園橋を渡らずにどの位行ったかしら、一面のレンゲ畑、メダカもいた、知らない虫も飛び跳ねていた。夕焼け小焼けの頃になると、「遅くまで遊んでいたら、知らない小父さんに連れて行かれるからね」出掛けに必ず云う母の言葉を思いだして、一目さんでかけて帰った。

今日は「西賀茂の名刹と牛若誕生の地を廻る」散策の日。待ったなー、心待ちにしていました。

お天気もよく集まった8人はT先生の名調子のご案内を聴きながら快調に歩きます。

046_2

048_2

ちっちゃな花びらの十月桜か冬桜かな、わからないけれど満開です。その向こうに御影石の一刀彫りの十一観音像が立つ法雲寺。日本一の高さだそうです。

「来年の大文字はここから観よう」全く同感と思うけど遠いし・・・ 「うわー凄い、神山~比叡山~東山まで一望のもとです。

049

050

ここ西方寺ではT先生から楽しいお話が。旧制京都一中(秀才の誉れ高き憧れの一中)の外国教師、リチヤード、ボンソンビ先生は日本人以上の日本人で、門の表札は勿論のこと、生徒達の多くがサインを求めると、必ず本尊美利茶道と書かれた。また食事は全て日本食で、朝は羊羹と番茶、夕食も刺身に日本酒、それも瓶詰めは味が悪いと云って樽詰めを愛用、うに、からすみ、このわたの左党。コーヒーは大嫌いで、アメリカ嫌いでも有名だったとか。 

昭和11年11月、60歳で上賀茂でお亡くなりになり、ここ西方寺に遺品碑がある。上の写真です。

055_4

西賀茂の船山の麓に太田垣蓮月尼のお墓がありました。

生母は誠(のぶ)を出産した後に、丹波亀山藩の藩士の妻となった。この生母の結婚が縁で、寛政10年(1798年)頃より丹波亀山城にて御殿奉公を勤め、10年ほど亀山で暮らした。

少し興味があり引用しました。何とまあ、亀岡に。

058

神光院の本尊は弘法大師で「賀茂の弘法さん」と云われ厄除け大師として尊敬されている。

ここに茶室蓮月庵がありました。内部は5畳と3畳の居間と台所からなる。波乱の人生の晩年にふさわしい静かなところ、池の淵には真っ白な八重の山茶花が咲き晩秋の庭に染み入るようでした。

057_2

桓武天皇が王城鎮護のため京都の四方に大将軍社を建てた一つで、ここは西北の大将軍神社。

064_4

牛若丸誕生井碑。牛若丸出産の産湯の水を汲み取ったとされるところ。同じ畑の中程に「牛若丸包衣塚」と呼ばれる古塚がある。ここは包衣とへその緒が埋めたと伝えられている。

久我神社の写真がぼやけてダメでした。残念!

幼い頃、虫取り、かくれんぼ、石けり、大方の遊びは久我神社で過ごしました。我が家はここから大宮通りに面して3軒目。現在はカメラ屋さんになっていますが、隣の八百屋さんは現存でびっくりしました。(前に訪ねたとき)

こんなに名刹があることなど露知らずに過ごした西賀茂界隈でした。

008

今宮さんに寄り、大徳寺境内を通って 南門近くの喫茶店(名前が思い出せない)でお茶をいただき、楽しくお喋りして さようならをしました。

T先生、Kさま、同行のみなさま、楽しかったですねヽ(´▽`)/また来年もご一緒させて下さい。ありがとうございました。

          

 

 

 

   

     

« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »