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大江山石畳古道を歩く

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  11月26日 (土) 晴れ

  歴史の道100選に選ばれている「宮津街道普甲峠越え」を地元のガイドさんの案内でのんびり歩いてきました。

バスを降りるといきなり鬼とご対面。

 大江山には、山中に鬼が住んでいた、鬼退治をしたなどの伝説がたくさんあります。

 この辺りは朝鮮半島やロシアなど、海外からの影響を受けたところで、ガイドさんの話によると 鬼というのは、青鬼=目の青い人、 赤鬼=髪の赤い人など海外からかくれ住んだ人々、という説もあるそうです。
 

 それに、天橋立や元伊勢などの巡礼道だったことから、旅人を狙った悪い盗賊を鬼と呼んだ説もあるようです。

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 鬼の足跡岩

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 霧の二の瀬川渓谷にかかる吊り橋も渡りました。そんなに揺れなかったよnotes

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 ふもとから頂上まで石畳が続きます。 丹後を支配していた細川家のころに作られたそうです。                                      

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  「爪割り水」 で、初めて休憩し、近くに「千年杉」 「胸壁」、「関所跡」があり礎石もしっかり残っていました。 

大江山連山の標高は600m~700mで、普甲峠の石畳が残っています。しかし滑り易いので脇を歩きます。杉林に入るまでは、ナナカマド、カエデ、コナラなどの落ち葉を踏みながらジグザグ坂を登っていきます。木漏れ日と心地よい風が通り、汗をかくほどでもない。 

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 わぁ、綺麗!三角の山がぽっかり、写真愛好家の方にお聞きしました。砥石山(といしやま)というそうです。

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 石畳の古道も終わり大江山スキー場に出る(向かい側も)。 近年何処も雪不足、去年は40日程の営業とか。

 先日からの寒波で営業できているといいんだけどなぁ・・・                               057

 スキー場から宮津湾が見えました。    天橋立はいずこにsign02

 お昼は大江山スキー場の施設(KTR宮福線の辛皮(からかわ)駅のそば)で地元の食材を使ったお弁当を頂きました。

 その後、丹後宮津桔梗の会の皆さまとの交流会があり、自己紹介で、「ご当地と亀岡は明智光秀でつながりがあることで興味深い宮津です」 なんて?訳の判らないことを云いました(;;;´Д`)。

 午後からの写真が全部ダメになってしまいがっかりです!

バスで山を降りて盛林寺に。

お寺の山すそにある明智光秀の首塚に。そのあとお茶菓を頂きながら住職さんのお話を伺いました。 

    林寺(宮津市字喜)

盛林寺は、上宮津城主、小倉播魔守の菩提寺として天正五年、宮津大久保谷に創建された。開山は趙室栢和尚、それを助けた小倉氏は、丹後守護一色家の重臣であった。小倉氏は天正六年、細川氏に敗れて滅びた。細川氏は天正八年八月、丹後の大名として入国、宮津城をつくった。盛林寺はその庇護を受けた。(パンフレットより引用)

 嘘かまことか?明智光秀の首塚は亀岡にもありますが・・・
一時間ばかりの宮津寺町を散策し終えて万歩計を見ると7609歩。
 な~んだ意外と歩いてないんだ。  
さて年の瀬、皆さまはどのようにお過ごしでしょうか?イブで美酒を楽しまれる方、旅に出られる方、おせちに腕を振るわれる方、どうぞみなさまお健やかに(´▽`).

       

              なりにけりなりにけりまで年の暮  芭蕉

               

             

       

    

     

    

    

            

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コメント

ささ舟さま、大江山いいですね~。ゆったりとしていて展望も良し、伝説や歴史の話もいっぱい、いいところで楽しい時間を過ごされたご様子うれしく読ませていただきました。

光秀の首塚があるのですか?正確な位置などお教え頂ければうれしいですね。
二の瀬川渓谷にかかる吊り橋、これはこわそうですね。私は苦手です。
鬼の地は、洛西の大枝から丹後の大枝へと時代と共に移っていったという話を聞いたことがありますが、何で「おおえ」やね、という我が疑問は残ります。

ささ舟さまは最近ガラシャ夫人の本を読まれたはずですね。如何でしたか?私は頂いた家村耕さんの、光秀奔る、を読ませて頂きとても気に入っています。家村さんに会いに行ったほどです。光秀ゆかりの地を訪問する記事を京都新聞に連載されていましたが、私はそれを読むことが出来なかったのですが、お会いした時にそれをまとめたものをいただく事が出来ました。彼の光秀に対する思い入れには感心しています。

光秀と言えば先日、大阪からのお客様と再び周山城に上りました。ガラシャ夫人ゆかりの地も訪れてみたいと思う気持ち大なるものもあります。雪深い季節に味土野を訪れたい気持ちもあるのですが。

話は変わって、赤鬼、ですが、我が小学生時代に赤鬼の役を仰せつかって同級生の女の子の赤いセーターを着せられた事を思い出しました。劇で何を喋ったかなど何も思い出せませんが、このセーターの事だけは覚えています。

我が想像では、赤鬼は西洋人ではないかと思わないでもない。高い鼻の赤ら顔でブロンドの髪の毛の男が山中に暮らしていたら里人には赤鬼そのものと思われたと思うのですが。でもどこからどの様に着たのだろうか、なんて考えるとロマンがありますね。

pen大江山となれば「大江山行く野の道の遠ければ~」の和歌を思い出します。子どもの頃の正月に、百人一首でこの札を争ったものです。それと、酒呑童子伝説ですか。鬼の物語は方々にある様で、私の生まれた近くの一条戻り橋にも、渡辺綱が鬼の手首を斬り取った伝説があります。小さい頃から聞かされていましたので、大江山には何と無く親近感を抱いていました(勝手ですが)。
それに何より、周中の同級生にこの山と同じ苗字の女性とが居ましたので、昔から余計に愛着を覚えておりました(アホですねぇ)。
そんな事に加えて、学生の頃に友人と3人でスキーに行った場所でもあります。予約もせずに夜行で行き、小学生の合宿に同行していた先生(名も知らない)の計らいで同宿させてもらい助かりました。
その頃の大江山は雪も多くて、眼下の橋立を見下ろしながら、快適なスキーが楽しめたことでした。その同級生は、一人は亡くなり、もう一人は車椅子生活です。鬼の影響で、善人ほど先に逝くのかも知れません。となれば、私は悪人となりますが・・・。まあ、鬼には強いとか凄いとかの意味もありますし、鬼女なんて言葉もありますし(決してささ舟さんの事ではありません)。
冗談はさて置き、光秀繋がりの楽しい旅を満喫されて何よりでした。今年の最後のご旅行になるのでしょうか。今年も沢山の思い出深き旅行記を、有難うございました。


「国峠」   川原よしひさ

少年の日
登りつめた峠は
雲を吹き上げる海へ往く
国のなかの国ざかいだった
村堺の土橋を 踏まず
町堺の鉄橋を渡らず
山路を一筋に辿り
一石の界標を認めた
古る人が打った印しだ
但馬と丹後とを通う昔に
沈む道祖神の頭(こうべ)か
忍び地雷ではあるまい

丹後半島の渚は
急傾斜で海に下って弛まず
細い陸棚で岩鋸の目立をする
12海里先の海の境界では
基準水深200メートルをはるかに越える
果ての色なしの塩水を青くして
天へ向かうきざはしは緑の松葉杖だが
天地の堺をいずれに求めたものか・・・
大江山の異界をのぞくのは
鬼神酒を仰ってからだ

moon3 mfujinoさま

おはよう~ 当日バスは福知山、大江で宮津街道に入り元伊勢を過ぎ仏性寺から宮津市の中の茶屋、普甲峠、大江山スキー場まで古道を歩き、そこからバスで綾部大江宮津線で下り、KTR宮福線の喜多駅の手前の酒屋で右折、正面が曹洞宗盛林寺(宮津市喜多696)で、境内山すそに明智光秀の首塚がありました。
宮津や亀岡へ生首をどのようにして運んだのかしら??何て、MさんやらTさんと話していたんですよ。宮津駅はそこからふたつ目のようです。
二の瀬渓谷の吊り橋はそれほど高くないですが滝が幾つもありなかなかのところです。真横に車道路がある部分は少し残念ですが。高所恐怖性だった私ですが、四国を廻るようになってから、長いロープーウエイなどに慣らされて近頃は怖くなくなりました。女子足る者ほんとは「きゃーこわい!」という可愛さがあったほうが・・・
>雪深い季節に味土野を訪れたい気持ちもあるのですが。
私も三浦綾子の本を読んで、ガラシャと宮津味土野の章が一番心に残りました。常から忠興の焼餅も相当なものですけど。

学芸会で赤鬼ですか、かわいい(゚▽゚*)来年の芋煮会でぜひ再現なさって下さいな^^

 大江山は一度行かねば行かねばと思いながら未だ行けてないところの一つです。何か面白そうですね。二の瀬川渓谷にかかる吊り橋、私は得意です(笑・アホ高いとこ登るとも言いますが)。mfujino様が高所恐怖症らしいというのは何となく分かっていたのですが、これで決定!です。
 大江山の鬼伝説は、もしその原型となった事件があったとすれば、やはり洛西の大枝でのことだと思います。けれども、そういう悪いことをする連中は、この丹後にもいたでしょうから、大江町の鬼による町おこしも大いに結構だと思います。
 細川氏のころからの古道、ムチャムチャ古い道ですね。また、スキー場から宮津湾が見えた時のささ舟様の感動がよくわかる写真ですね。丹後には舟木で神社を見つけるという宿題が一つ残っています。

paper  道草さま

たしか、中学生の時、百人一首とりで優勝なさったのでしたね。十八番はこの札?母親の和泉式部が丹後守の後妻だったと聞いたことがあります。私もこの札の意味も判らないのに、1番目か2番目に覚えた記憶があります。天橋立というわりに身近な地名のせいで親近感を持ったのかもわかりません。
この姓はわがK村にも数軒あります。同級生のN子ちゃんは美人でしなやかな友でしたが、同窓会には全然出てこないのでどうしていることやら?
道草さまは何処に行かれても顔パスでいいじゃないですか^^そうか、その時は小学生の先生に成りすましていられたとか?それにしてもさすが鬼女とは雲泥の差ですやんか(笑)

「国峠」、力強い詩ですね。丹後半島に行きたくなりました。鬼神酒なるものを仰ぎに。

  徘徊堂さま

大江山、なかなかいい所でした。しかし、、、私も大江山はこちら老の坂の大枝ではないかと思います。
老の坂には酒呑童子を頭とする鬼(山賊)が住んでいた。首塚大明神は鬼らの首が埋められて首塚を作ったといわれています。首塚は私も二度行きました。
また大蛇に呑まれた旅人が腹の中で刀を抜き、五臓六腑を切り開き逃げでた。大蛇の血があふれて赤く波打ちました。そこから「丹波」の名が生れ、また大蛇に呑まれながら生きて出たということで、その辺りを、「生野」と呼ばれるようになった。生野は、今の篠町合戦野の辺りであるといわれます。以上(亀岡百景)から引用しました。
伝説は難しいですね。
そうそう「舟木」って天女の伝説のあるところではないでしょうか?以前、網野に行った時、聞いたような気がします。定かではないですが・・・。

徘徊堂さま、
>mfujino様が高所恐怖症らしいというのは何となく分かっていたのですが、これで決定!です。

どこで見抜かれたのかしら?

 mfujino様
 どこかで、高いところはコワイコワイと書いておられましたよ(笑)。

徘徊堂さま、
いやいや一緒に歩いたどこかで我が歩きをしっかりと観察されていたのでは?
同級生と芦生へ行った時、木が一本だけの橋をこわごわ渡ってみんなに笑われたことがあります。穂高や槍のハシゴを上るのに、こんなとこで?とからかわれます。

 ささ舟様、何度もスミマセン。

 mfujino様、屋根の雪下ろしやりますよー。

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