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2012年3月

ヤッホー 大文字登山

 山科のmさまのお誘いで憧れの大文字山に登ってきました。

三条京阪に10時集合し、バスで銀閣寺道に。大勢の観光客の間を縫ってmさまは銀閣寺道を左に折れ、八神社の前から登りはじめられます。10時30分。

右側のせせらぎをききながらゆるい坂道を行きます。この時間すでに下りてくる人に出会います。軽い挨拶を交わしながら・・・。せせらぎを渡ると長い階段です。「わーながー、しんどー」上がるとしばらく土道、また石段、「石段の多いところやなー」心臓もぱくぱく、もう一心不乱状態でカメラのことなど何処かへ飛んでいた。 千人塚で水分補給して火床をめだします。

周りが開け、一気に「火床」に到着です。11時15分。「わーきれい(◎´∀`)ノ

        そしてこれが金尾(かなわ)と呼ばれる大の字の中心部分。

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 熱に強い大谷石が使われているそうで、ここに松割木(赤松)と松葉を順に井桁に数段組まれ、その上に市民から志納された護摩木を積み上げるそうです。

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 火床から見た箱庭のような京都市街にびっくり!御所の森、鴨川、一番向うは愛宕山。肉眼では、平安神宮の朱の鳥居も見えたんだけど・・・・

     

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 この前に御堂があります。弘法大師が祀られています。大文字の送り火は弘法大師に起源を持つと言われています。

ここに来れたことのお礼と、これからの健康を願ってお参りしました。

 夏の大文字の送り火の夜、「大」の字がとても優雅に書かれていることにいつも感心していました。ちょっと調べてみました。そうか、その秘密は火床にあったのです。もともと火床は左右対象に設定されていなかったのですね。 

「大」の横一の右側は+2で、右はらいは+7の火床。なーるほど、だからおおらかな「大」なんだナ。 下の写真は「大」の右はらいの火床を上から見る。

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       大文字の中心部を、金尾(かなわ)4基の火床からなる
       頂点は、「字頭(じがしら)」と称され、2基の火床からなる
       火床は、ひし形に削った大谷石で、土中に埋め込まれている


送り火の薪や松葉や麦わらは途中までリフトで、そこからは人の手で運ばれるとか。火床全部で75基、薪の数600束、松葉100束、麦わら100束が使われるそうです。

 大抵の方はここまでで引き返されるようですが、私たちは大文字山頂を目指します

 11時30分。急な坂道をもくもくと登ります。

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  この間も写真を撮る余裕はありません・・・

 やっとこさ着きました。大文字山頂三等三角点。466m。 何と12時ジャスとです☆

10人くらいの先客が展望していられます。あの辺りは北花山から山科区が見えるのかしら?

登山用の杖はまだ持っていません。ぶさいくですが医療用のこれが今日は助けてくれたから感謝して写真におさめました。

 おにぎり、丸干し、菜の花のお浸し、梅のうま煮、にぬき、みかん、梅唐辛子のお茶、豪華なお昼ご飯です。メダカは美味しいおいしいと頂くばかりで・・・それにしても、丸干しって思いも付かなかったわ・・・永年の山ガールのMさま、Tさま、ほんとによく気が付かれます。勉強になりました。ご馳走さまでした♪

 おごそかに?食事が終わるころ、後から来られたKさまと若き美女と合流できました。この美女は埼玉の方で、大文字山に登るためひとりで昨日京都に来られたそうで、山中でKさまと出会われインクラインまでご一緒しました。

 12時30分いよいよ下山です。来た道を帰らず蹴上に向かって出発です。

    

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京都トレイルの踏み込まれた歩き易い道が続きます。

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   ここは六本の道に合流する辻なんですね。間違いないか思案処だそうです。

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 途中2度ばかり軽く休憩して、埼玉美女のご希望の天の岩戸に着きました。

 この岩はくるっと抜けられる洞窟で、この胎内くぐりをすると開運や厄除けのご利益があるそうです。私もくぐってみました。明日から何かいいことがあるかも・・・内部には戸隠神社が祀られていました。

 坂を50m下ると、式内社日向大神宮に。まず内宮、つづいて外宮がありました。清和天皇のころの建立といわれます。

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    長い参道を下って、蹴上のインクラインに出てきました。14時15分ごろ。

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           若き工学博士・田辺朔郎 像                                                       

琵琶湖疏水は、琵琶湖の浜大津付近の取り入れ口から発し、すぐに第1トンネルに入る。トンネルを出た疏水は安朱校の側を流れ、山科区から『蹴上』へと流れ、流れは北と西に分かれる。第2疏水も蹴上で合流し主流は鴨川へ向かう。鴨川と並行した疏水はやがて伏見の町を通って、宇治川へ入り、その流れを終える。 

琵琶湖疏水は、第3代京都府知事北垣国道と、技師の田辺朔郎の綿密な計画のもと、多くの犠牲を出しながらも、明治23年に完成した。その目的は舟運、発電、潅がい、飲料水、防火、工業用水と多岐にわたっている。田辺朔郎博士は着工後外国へ留学し、そこで得た知識を疎水建設に生かした。発電はその一つで、疎水の水で起こした電気うぃ使い、インクラインの台車を走らせた。

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            インクラインの台車

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 何十年ぶりにインクラインを歩き、動物園辺りから振り向くと大文字の「大」が笑って見えました。ヤッホー・・・

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 お天気も最高!思い出に残る一日でした。これから皆さんと喉を潤しにいきまーす。 ありがとう♪

                ☆ 付録です(゚ー゚)

 地下鉄東山駅から5分ぐらいの所へ、mさまに付いていきますと、「ええ!こんな所に」?露地のすみっこに光秀様がいらっしゃいました。

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           おあとはT先生、K様にお任せしようかな^^

    

          

    

 

    

    

    

    

    

    

    

    

    

     

 

     

     

      

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