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2012年11月

つらつら椿に誘われて

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 9月のある日、新聞で見かけました。 

 特別展 『つらつら椿』 ~椿絵に宿る枯淡の境地~ 

 このタイトル素適じゃないですか、酔ってしまいそう~、観たい! だのに期間が2ヶ月ほどあったのでうっかり忘れていました。先日はっと気が付いて確かめると残すところ数日しかない。急がなくては(・oノ)ノ

 そんなことで、この先外出続きですが気合を入れて行って来ました。

 近鉄電車学園前駅で降りるのは初めて。バスは高級住宅街を5,6分走ると「大淵橋」で下車。橋の向う池に添うて建物が見えました。松伯美術館です。

 受付までのアプローチがこんな感じ、木洩れ日の松林があたたかい。

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松伯美術館は、上村松篁・淳之両画伯からの作品の寄贈と近畿日本鉄道株式会社からの基金出捐により1994年3月に開館しました。当美術館では、上村松園・松篁・淳之三代にわたる作品、草稿、写生等、美術資料の収集と保管、展示を通じ、三代の画業を紹介することを目的としています。また、広く日本画の普及、若手作家の育成を図るため、特別展、公募展等も開催しています。

名前の由来 

「松」は、松園・松篁両画伯の名前と、美術館所在地である故佐伯勇近鉄名誉会長旧邸の庭に植えられている百数十本の松に、「伯」は、画伯の伯と佐伯氏の伯あるいは邸内の茶室の号、「伯泉亭」に由来するものです。また「松伯(しょうはく)」の音は、常磐木である「松柏」にも通じるようにとの意味が込められています。  (パンフレットからお借りしました。)

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 美術館入り口です。すでに大勢の方がいらしてます。こじんまりとした明るい雰囲気でやさしい~。

会場には、上村松篁の凛とした椿をはじめ、暗闇に映える横山大観の白椿、「雪旦」(パンフレット右)、小倉遊亀 「古九谷徳利と白椿」(同中)、奥村土牛「紅椿」(同上)、小林古径「椿」(同左) などなど。

写真が撮れませんので、私の言葉では表現できないのが残念ですが、緒形光琳、緒形乾山など近代日本画檀を代表する画家たちの個性豊かに描かれたつらつら椿の作品を心ゆくまで楽しませていただきました。

別室では上村松園、上村松篁、上村淳之、三代の名画も展示されていました。

会場を出て広いお庭を見せていただきます。

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024 庭園には今は咲いていないですが色んな木や花があるようです。春にはまた訪ねようかな。

021 広いお屋敷は大淵池にとび出るようにあります。  向かい岸の様子。                                                             

133  松伯美術館の全景。

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帰りに大和西大寺で降り秋篠寺に寄りましたが、今日はここまでにしておきます。

 

 

 

       

            

           

     

     

     

ふるさとを歩く

   

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 曇り空ですが、そろそろかな、と思い里に飛んで行きました。きょうはめったに歩かない下区集落をそぞろ歩こうと思って・・・

 先ずは下区の氏神八幡神社に、30年ぶりかも。本殿の紅葉はまだまだですが、石段下、拝殿の回りはこんなに色づいています。 

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 応神天皇を主神とし、神功皇后及び武内宿禰を配祀す。もと武内大臣、天満宮、厄神社、氷室社など末社八座を祀る。

 「こんにちは~」丁度、お掃除にいらしてた禰宜の奥さんとしばしお話する。今年の紅葉は10日ほど早いそうです。

子どもの時の秋祭りは流鏑馬があり、屋台もたくさん出ました。一張羅のお洋服を着てお祭りに走っていったものです。

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 拝殿に掛けてある流鏑馬の額ですが、年号も見えない、いつ頃のものかしら?

 籔揃いといい境内馬場で流鏑馬(やぶさめ)を行ひ又拝殿にては神勇の能あり。

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  鳥居下のここが馬場で一キロmほど駆け、 隣村からも大勢見え、それはそれは賑わいました。

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              野生のお茶の花 

 

 八幡宮を右手にたらたら降りていくと、高木文平氏の生家に着きます。

 氏は国家富強の根本は教育に存するとし、明治2年自家の資を処分して校舎を建築し、教員を招き、近郷の師弟を入学せしめたり、これは北桑田郡に於ける私学校の最初となり。

 かくして校風大いに振ひ業績上がるが、5年学制領布せられ、公立学校設立の要起るに及び、高木氏はその校舎全部を村に寄附せり。これ現今の神吉小学校の起源なり。

 高木文平氏の私学校は直ちに村立に移され、及時校(きゅうじ)と呼ベリ。 13年には校内に、女紅場(裁縫、手芸 、習字など)を設く。054_2

後年は初代京都商工会議所会頭も務められた。 庭の楓が丁度見ごろきらきらきら☆

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 さて、どんどん橋を過ぎ氷室の森に向かいます。

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 地蔵山を見ながら持参のお結びをいただき、軽く体操をして元気に歩きます。

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 村の地勢をご紹介しましょう。「もう知ってるわ」 まあまあそない仰らずに・・・(*゚▽゚)ノ 

 山岳四周にして中央に低地をつくり一小盆地の形をなす。山は東に三頭山(みつづこ)728.2m、南に龍王嶽498.7m、北に鎌ヶ岳616m、千歳山622.3m、平月山などある。千歳川は千歳山中に発し村の中央を東流して長池に入り大堰川にそそぐ。 

 村の東端の氷室の森に着きました。地蔵山や三頭山がすぐそこに見えます。(上、地蔵山、三頭山) 昔はここ氷室に相当なグランドがあり、記録大会や大きな行事はここまできました。

 青年團の応援歌に、~氷室の山に、わが青年の意気高し・・・~と歌われていました。

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 向山の麓にある。往古より著名の史跡にして、謡曲『氷室』もここを詠みたるものなりといふ。今から200余年前に、老樹鬱蒼として三伏の冷気をおぼゆる程なりしかば、小路彦四郎というもの、ここに氷壷を置きて毎夏氷を朝廷に進献したりといふ。その後いつしか絶え老樹も野火に焼かれて今は影を留めず。  

           (資料はすべて北桑田郡誌よりお借りしました。)

 良水を求められて現在は、京菓子司 仙太郎 の工場があります。 どうぞご贔屓に(゚▽゚*)

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 八幡宮境内の 氷室社。

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 下区を一巡して小学校横、上区の氏神、日吉神社まで帰ってきました。ここの楓は色 付き始めたばかりで爽やかな感じ。ここまでで約1万歩、よく歩きました♪   

              

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