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ふるさとを歩く

   

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 曇り空ですが、そろそろかな、と思い里に飛んで行きました。きょうはめったに歩かない下区集落をそぞろ歩こうと思って・・・

 先ずは下区の氏神八幡神社に、30年ぶりかも。本殿の紅葉はまだまだですが、石段下、拝殿の回りはこんなに色づいています。 

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 応神天皇を主神とし、神功皇后及び武内宿禰を配祀す。もと武内大臣、天満宮、厄神社、氷室社など末社八座を祀る。

 「こんにちは~」丁度、お掃除にいらしてた禰宜の奥さんとしばしお話する。今年の紅葉は10日ほど早いそうです。

子どもの時の秋祭りは流鏑馬があり、屋台もたくさん出ました。一張羅のお洋服を着てお祭りに走っていったものです。

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 拝殿に掛けてある流鏑馬の額ですが、年号も見えない、いつ頃のものかしら?

 籔揃いといい境内馬場で流鏑馬(やぶさめ)を行ひ又拝殿にては神勇の能あり。

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  鳥居下のここが馬場で一キロmほど駆け、 隣村からも大勢見え、それはそれは賑わいました。

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              野生のお茶の花 

 

 八幡宮を右手にたらたら降りていくと、高木文平氏の生家に着きます。

 氏は国家富強の根本は教育に存するとし、明治2年自家の資を処分して校舎を建築し、教員を招き、近郷の師弟を入学せしめたり、これは北桑田郡に於ける私学校の最初となり。

 かくして校風大いに振ひ業績上がるが、5年学制領布せられ、公立学校設立の要起るに及び、高木氏はその校舎全部を村に寄附せり。これ現今の神吉小学校の起源なり。

 高木文平氏の私学校は直ちに村立に移され、及時校(きゅうじ)と呼ベリ。 13年には校内に、女紅場(裁縫、手芸 、習字など)を設く。054_2

後年は初代京都商工会議所会頭も務められた。 庭の楓が丁度見ごろきらきらきら☆

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 さて、どんどん橋を過ぎ氷室の森に向かいます。

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 地蔵山を見ながら持参のお結びをいただき、軽く体操をして元気に歩きます。

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 村の地勢をご紹介しましょう。「もう知ってるわ」 まあまあそない仰らずに・・・(*゚▽゚)ノ 

 山岳四周にして中央に低地をつくり一小盆地の形をなす。山は東に三頭山(みつづこ)728.2m、南に龍王嶽498.7m、北に鎌ヶ岳616m、千歳山622.3m、平月山などある。千歳川は千歳山中に発し村の中央を東流して長池に入り大堰川にそそぐ。 

 村の東端の氷室の森に着きました。地蔵山や三頭山がすぐそこに見えます。(上、地蔵山、三頭山) 昔はここ氷室に相当なグランドがあり、記録大会や大きな行事はここまできました。

 青年團の応援歌に、~氷室の山に、わが青年の意気高し・・・~と歌われていました。

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 向山の麓にある。往古より著名の史跡にして、謡曲『氷室』もここを詠みたるものなりといふ。今から200余年前に、老樹鬱蒼として三伏の冷気をおぼゆる程なりしかば、小路彦四郎というもの、ここに氷壷を置きて毎夏氷を朝廷に進献したりといふ。その後いつしか絶え老樹も野火に焼かれて今は影を留めず。  

           (資料はすべて北桑田郡誌よりお借りしました。)

 良水を求められて現在は、京菓子司 仙太郎 の工場があります。 どうぞご贔屓に(゚▽゚*)

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 八幡宮境内の 氷室社。

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 下区を一巡して小学校横、上区の氏神、日吉神社まで帰ってきました。ここの楓は色 付き始めたばかりで爽やかな感じ。ここまでで約1万歩、よく歩きました♪   

              

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コメント

 おー、ふるさとの秋ですね。本当に美しいところで、散策には一番いいですね。バスも結構本数がありますし。これが峠を越えるとバスの便が悲惨です。
 日吉神社は、よく存じ上げているのですが、八幡さんはなかなか地図では確認できません。阿祇園寺の近くでしょうか?謡曲「氷室」等もてっきり長坂越えの氷室だと勘違いをしていましたが、こちらだったのですね。
 道路元標、近々見に行きます。小学校の前でよかったでしょうか?冬用タイヤの装着を2週間後に頼んでいるので、それまで雪が降らないよう雨乞いならぬ晴れ乞いです。質問ばかりですみません。

 maple 徘徊堂さん

 こんばんは~、寒いですね。今日は12月の気温だそうです。

ありがとうございます。わりに気楽に行くことができます。

 下区の八幡さんは、バス停和田口から100mほど東に行き、民家の間を裏山に向かってとろとろとのぼりますと八幡さんの鳥居前にトンと着きます^^鳥居に向かって右手の杉葉の落ちている道を進むと街道に出てすぐに高木家があります。 阿祇園寺のご住職は同級生ですから、もし宜しかったら訪ねられても・・・。氷室のグランドで100mの私の記録を出しました。懐かしいところです。
 道路元標は小学校の西側(郵便局側)の街道に面した角にあります。嬉しいな、こうして訪ねてくださる方がいらっしゃるのはヽ(´▽`)/ 

きのう伊吹山の初冠雪だったそうですね。


ささ舟さん、お~寒!昨夜遅番の勤務から帰宅したら2℃でした。今朝6時頃は3℃でしたが。一気に冬がやって来たようです。

故里があるのはいいですね。でもその故里を守っていてくれる人があるからこそという気持ちがだんだん強くなってきました。ここ京北も人口減少はとまりません。それは地元で働く場がないからです。その点、京菓司・仙太郎さんが工場を作られたのはすごい地域貢献でしょうね。あの里で作られているお菓子というだけで良いイメージを抱きますね。観光産業と言いますが、かの全国区たる美山ですら私の目にはまだまだ寂しく映ります。キーワードは若い世代が定住出来るかどうかだと思います。今そんなことばっかし考えているんです。

地図を見てますと、ささ舟さんの古里は豊かな里だったんだなあと見えますね。適度な過疎で都会の人の心を癒してくれるます様に祈っています。

penかつて隣の宇津村に住んでいた私は、神吉村は八木町へ遠足で行く時に渋坂峠を越えるか、別の所要でバスで長池の傍を通って行くか・・・いつも素通りでした。
6年生の3学期に学芸会で小学校へ見学に行ったのが、唯一の長時間滞在でした。

あの時は、「にんじん」のお母さん役のささ舟さんや他の6年生達が、凄く大人に見えたものです。そして、同級生とは思えない名演技に、ただ圧倒されました。宇津小の洟垂れに比べて、神吉小の皆さんは、相当オマセだったのでしょう・・・か。
隣村同士でしたが、そんなに深い交流はなかったみたいです。運動会の走り高跳びで、S君に2連敗したのが唯一の悔しい(今は、楽しい)思い出です。

八幡宮(小細峠に近い方の神社)の拝殿には、宇津小の校長だった神吉出身のK先生の額絵が掛けてありました。もし今もあるとすれば、もう60年もの歳月が流れてしまいました。神吉村には高木文平氏とか後宮淳氏(私達は、ウシロク大将と呼んでいましたが)とか、名士が多い様です。

今年の京都各地では紅葉が遅いと聞いていますが、神吉の紅葉は10日も早いのですか。もしかして、この冬は雪が多いかも知れませんネ。雪が積もれば、一度行って見なくては・・・。


「手紙」  水谷まさる 
 
家(うち)へ歸れば
机のうへに
そつとのつてる
手紙が一つ。

讀まぬさきから
すつかりわかる
だつて手紙は
もみぢの枯葉。

そろそろ冬に
なり候
御用意なされ
たく候。

出したお方は
神さまだらう
冬の來たのを
知らせる手紙。

maple  mfujinoさん

ほんと!京北は2~3℃でしたか!一気に真冬ですね。私も何枚重ねても寒かって肩が凝りました。

そうなんです。仙太郎さんが見えてから、村の人が大勢働きに出られているそうです。わたしが近くの土手でお結びを食べている間にも(1時前)数人が車や自転車で工場に戻られるのを見ました。昼食時家に帰っていられるのですね。
以前は北山まで丸太磨きにでていた方もいらしたのに。
ハウスの風景は頂けませんが、村では水菜、九條ねぎ、トマトなどのハウス栽培を頑張っていられます。でも若者はどうかしら?
歴史ある小学校も2015年頃に統合で町に通学するようになるかも。極少人数の教育には限度がありますし、それはそれで良いと私は思います。

先日も里から「今日は村のお稲荷さんのお火焚やから」と新米のお赤飯と野菜を。お祭りには鯖寿司やお餅を。「ええ、御火焚今日やっん」こうして里から季節を知らせて呉れてありがたいことです。温かな村のしきたりや行事が無理なく続きますことを願っています。

20日お世話になります。テルテル坊主釣っときますヽ(´▽`)/

maple  道草さん

やっと陽が射してきました。ふかふかのひざ掛けをぐるっと巻いてパソコンの前にいます^^

小細谷に近いほうの神社(小学校の隣)は日吉神社です。八幡さんはそこから500m位東の山すそにあり、街道からは見えにくいかも。あの辺りは同級生が多く10人いたのに今はたった2人になり寂しいばかりです。
道草さん、学芸会のこと、どうしてそんなに覚えていられるのでしょうか?もしかして私の息子のにんじん役の美少女に恋をされたとかネ?そうでしょうきっと。おマセさんはそちら様じゃないかしら(笑) 私自身殆ど覚えていないのに・・・。

あの時お声をかけてくださればお友だちになれてたかも。惜しいな・・・。

神様からの「お手紙」すてきで可愛い!

>そろそろ冬に
なり候
御用意なされ
たく候。

ほんと急がなくては・・・。
ありがとうございました(*゚▽゚)ノ

こんにちは。久し振りにお邪魔して「仙太郎」の文字を見て一言書きたくなりました。我が家の全員「仙太郎」の和菓子が大好きです。特に「ごぞんじ最中」の小豆が大好きです。直営店で求めますと、最中にその場でしてくれますので、それがまたおいしいのです。友人へお土産で差し上げますと、「見ただけで食べきれない。と思いつつ食べてしまったので、自分で驚いた。」と言ってました。
渋谷東急でも販売しているのですが、お店の人が言われるには「京都で買ったのと少し違うかもしれません。」とのことでした。やはり京都で買ったほうがおいしい気がします。

食べ物の話が先ですみません。紅葉きれいですね。人生も最後をきれいに終わりたいと思いつつ…
まだまだ食べ物に縛られてます。

maple 鎌倉街道さま

おはようございます。遊びまわっていてお返事が遅くなりご免なさい。

「仙太郎」のお菓子、ほんとに美味しいですね。はみ出している餡、パリッとしたかわ、これがたまりません。

☆「仙太郎」のお菓子は、

丹波の工場近くで自分たちで育てた小豆と、

これまた丹波の氷室の水など、

地元で取れた材料を使ってじっくりと作られている。☆(仙太郎の冊子がら)

標高360m、戸数190軒足らずの丹波の小さな山村です。美味しい水を求められて、仙太郎さんの工場が来てくださいました。
私はこの村、母の生家で終戦の年から中学校卒業までの8年間の多感な子ども時代を過ごしました。私の原点である大好きなふるさとです。落ち込み悩む時はここに自然に足が向き、子ども時代の秘密基地や山百合の咲く場所など歩いている間に、すっと気持ちが晴れて元気になれます。

「仙太郎」さんの工場も思い出一杯の場所にあります(*゚▽゚)ノ

昨日はここの竹馬の友数人が我が家にきて、少し早い忘年会をして遊び、癒され薮入りにきたみたいと大はしゃぎしました。

鎌倉街道さま、お会いできる日を楽しみにしています。

ありがとうございました♪


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